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小越 建典

支えられる力 人を想うものづくり 前編


コロナ禍の記憶


「あなたの挑戦は、何でも応援しているから」

苦しかった時、支えてくれたお客様の一言。

その気持ちを思うと、今でも熱いものがこみ上げてくる。


 

2020年3月からおよそ3年半に及ぶコロナ禍は アパレルブランド「NAVY.WO」を営む小松左京にとって一生消えない記憶となった。


誰も予測のつかない世相にものづくりへの躊躇いを感じ、お客様と楽しく会話する時間は奪われてしまった。

スタッフやその家族が感染する恐怖で、メッセージアプリの通知が鳴るたびにドキッとした。


社会全体が殺伐として、 他人から心無い言葉をかけられたこともある。


誰のせいにもできない、相談も出来ないことが多すぎて、小松は途方に暮れた。


しかし、投げ出すわけにはいかない。


妻でありデザイナーの鈴木真穂子と 2人で立ち上げたブランドは順調に育ち、 10人以上のスタッフが、自由が丘のオフィス兼本店と、 新宿、名古屋、北九州の百貨店に出店した直営ショップで働いていた。


そして各地には、 ショップに来ることを楽しみにしているたくさんのお得意様がいた。


だが、そのショップが開けられない。

大規模商業施設の百貨店は、 たびたび休業の要請を受けていたからだ。


 

苦境の中、なりふり構っていられないと、小松はライブでの販売をはじめた。


元来、売り込みの苦手な小松には戸惑うことばかりだったが、 人と人との距離が遠ざけられるなか、画面越しにでも、お客様とのつながり、温かみが感じられるように、いつもの会話のようになるように、商品の話をライブで話した。


そして、確かに「応援」されていた。


コロナ禍が収束し、3年ぶりに直に再会したお客様は、 全身に「NAVY.WO」をまとっていた。


小松が把握していないところでも、商品を購入し、大切に使ってくれていたのだ。



廃棄ゼロの奇跡

 

2007年春、後に公私ともにパートナーとなる小松左京と鈴木真穂子は、家路への電車の中に。

当時はフリーのマーチャンダイザー(アパレル業界のプロデューサー)、デザイナーとして、 他社のブランドの仕事を受託していた2人。


特別な決意や野心があった訳ではないが…


「2人でブランドやってみようか?」

鈴木が提案すると、

 

「そうだね。やってみようか。」

小松もごく自然に同意した。

 

資金は僅か。初めてのコレクションは僅か7型だった。


自分たちで企画・デザインし、生地を買い、縫製に出して、展示会に出展。 それを何度か繰り返せば尽きてしまう資金だが、 小松には、迷いも気負いもなかった。

マーチャンダイザーとしての経験を積み、 世の中を見て、「つくって売る」能力に自信はあったし、 何より鈴木の才能に惚れ込んでいた。


そうなるべきタイミングだったのだろう。


ことは驚くほどスムーズに進んでいく。

立ち上げから2シーズン目、 原宿の小さな展示会に出展すると、 高島屋のバイヤーから声がかかった。


ちょうど新宿高島屋に、気鋭のブランドを集めたセレクトスペースがオープンしたばかりで、そのバイヤーから声がかかった。


当然「NAVY.WO」の知名度はゼロだったが、 出品すると確実に売れ、時には2人で自らショップに立ち、少しずつファンを増やしていった。


3年後の2010年には、新宿高島屋のテナントで直営ショップを出し、順調に販売数、売上を伸ばして現在(全国4店舗)に至る。


独立系の新規ブランドの存続率は決して高くなく、まして百貨店に直営店を出せるのはほんの一握り。

そんななかで 「NAVY.WO」は稀有な成功例だ。


さらに驚くべきは、 リーマンショック、東日本大震災、 そしてコロナ禍の危機を越えて 「廃棄ゼロ」を続けていることだ。


新しくつくる衣類のうち、 60%以上を棄てているというアパレル業界で、 奇跡のようなことが可能なのは、なぜだろうか??


NAVY.WO

 

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