「ナントカ屋には…
なりたく…ないんです」
村瀬は、じっくりと、
言葉を噛みしめるように語る
魚屋、八百屋、洋服屋、システム屋…
世の中には色々な稼業があるけれど、
それが余計なレッテルとなり、
人と組織を縛ってしまうことがある。
そんなことを身をもって知る村瀬は、
仕事を聞かれると、こう答える。
「”元”帽子屋です」
祖父が戦後復興期の名古屋で創業した
村瀬商会の三代目。
祖業は、帽子の卸だ。
昭和、平成、令和と、時代とともに
帽子のあり方は変わった。
かつては華々しかった
百貨店の売り場は衰え、
やがて量販店の雑貨として扱われるように。
いまでは、100円ショップの
必須アイテムとなった。
大量生産して売り切らなければ
利益が出せない構造。
帽子は流行で売れ筋が偏るので、
独自のデザインや機能性では
勝負するのが難しい。
結果、各社が似たような商品をつくり
ひとたびトレンドを読み違えれば、
在庫の山ができる。
同じことを続けて、会社が存続するだろうか?
危機感を持っていた村瀬は、
業界のセオリーにも、
社内の意見にも反して、
「鉄マフぼう」を企画する。
鉄道好きの子どもに向けた商品で、
ここまでのターゲットの絞り込みは、
帽子屋的な発想にはまったくなかったのだが、
それが良かった。
思いの外売れたのだ。
すると、電車や踏切をデザインした、
マスクや靴下、携帯用のつり革まで、
帽子以外のアイテムを次々リリース。
2023年にはとうとう、
一般向けの帽子の製造を辞めてしまった。
「祖父の墓には手を合わせて謝りました(村瀬)」
今では、鉄道関連の玩具や食品の
企画・製造にも手を広げている。
肝心なのは、鉄道はあくまで入口に過ぎず、
帽子屋から鉄道グッズ屋に
移ったわけではないことだ。
従来の常識も家業へのこだわりも捨て、
「ものづくりで子どもを笑顔にする会社」
であることが彼らのミッションだ。
10年後には、帽子も鉄道も越えた、
新しい子どもの笑顔ビジネスを
展開しているに違いない。
【自分ミッション】
「ナントカ屋」と名前をつけると
わかりやすいが、
それが実態だとは限らない。
業界や業種など
当たり前にみえる枠組みは、
人が勝手につくったものに過ぎないのだ。
まったく同じことが、
個人の職種や肩書にも
言えないだろうか。
営業、デザイナー、ライター、経営者…
私たちは自分自身にレッテルを貼ることで、
知らないうちに思考を止め、
できること、やりたいことを
限定しているのかもしれない。
「子どもを笑顔にする人」のように
ひとつ高い視座の
「自分ミッション」を
考えてみてはいかがだろうか?
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