有名タレントやスポーツ選手の加害を報じる週刊誌
VS
報道内容を一切認めず対抗措置をとる本人
という構造の対立が相次いでいます。
加害の真偽は不明ですから、出版社や報道のあり方に対する批判も、大きいようです。
報道の役割はとても重いですが、行き過ぎれば報道自体が強大な権力となり、暴走して、個人の権利を脅かす可能性もあります。
私たちは、どのように報道と付き合っていけばよいのでしょうか。
そもそも、報道ってなんでしょう?
今回は少し「報道の歴史」を振り返ってみたいと思います。
絶対権力への対抗者として登場
近代の報道、ジャーナリズムは、18世紀に大きく発展しました。君主君主による専制から民主主義へ、市民社会の運営では、権力に対抗し監視するジャーナリズムとマスメディア(新聞)は不可欠でした。
ちなみに、権力は政治権力だけでなく、企業や宗教団体などの組織権力も含みます。
専制君主のような絶対的な権力にとって、自由な報道は都合が悪いので、国家は報道を規制します。しかし、大衆が力をつけるに従って、報道も言論の自由を勝ち取っていったのです。
政党と結びつきビジネス化して独立
と、いっても報道が、そもそも公正で中立の存在だというのは、間違いです。
はじめのうち、当時の新聞は特定の政治勢力と結びついて政論を展開し、対立者を批判することで役割を果たしていました。現代でいう「政党新聞」のような形です。
報道が政治から独立したのは、さらに大衆が力を持ち、識字率や印刷技術も向上して販売部数が増えてからです。新聞社が経済的に向上し、規模を拡大すると、報道がビジネス、ひとつの産業として成立しました。
これならば、特定の権力と結びつくことなく、報道が可能になります。
報道のビジネス化が戦争の引き金にまで
しかし、報道がビジネスになったことで、別の問題が生じます。報道が、市場競争に巻き込まれていったのです。
新聞は、大衆の関心を引き、読者が新たな発見ができるような、お金を取れるニュースを書かなくては成立しなくなりました。要するに、情報がどんどん商品化していき、各社の競争によって生じた社会の大きな影響を与えるようになりました。
1898年のアメリカ・スペイン戦争は、イエロージャーナリズム(煽情的な報道合戦)が招いた戦争だとされます。ニューヨークの「ワールド」「ジャーナル」という2紙が、スペインによるキューバの植民地支配を、悲惨なイラストとともに書きたてました。結果、アメリカの世論が開戦に向かいます。
報道の暴走を誰が止める?
ジャーナリズムは「立法」「行政」「司法」の国家権力に並ぶ、「第4の権力」とまで言われています。
権力は、何かと結びついたり、暴走することもあります。国家権力に対しては、権力を分けて互いに抑制させる三権分立という知恵が運用されていますが…
報道は誰が監視・抑制するのか?
私たち一人ひとりが、考えてみる機会ではないでしょうか。報道が反権力で発展したように、報道を監視するビッグビジネスがうまれるかもしれませんよ。
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