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カルチャーを二度と絶やさない〜珠洲焼応援プロジェクト〜

小越 建典

珠洲焼

みなさんには、「ぜひ、みんなに知らせたい!」「一緒に応援してほしい!」というヒトやモノはありませんか? あれば、ぜひ教えてください。2025年のTerrace labは、ごく個人的な熱き思い=「推し」や「偏愛」も形にします!


今回は普段からアートな場所巡りをしており、cte.で最もアート推しの近藤が熱烈に応援するWHYNOT. TOKYOの高屋典子さん、永遠(とわ)さん親子のお話を紹介します。典子さんはアートのプランナーとして、永遠さんは気鋭の現代アーティストとして活躍されています。

2人が今、協力して取り組んでいるのが、能登半島地震で被災した陶芸家をサポートする「珠洲焼応援プロジェクト」。私たちビジネスパーソンもぜひ参考にしたい、味のあるお話でした。



二度と珠洲焼を絶やさない

どこまでが窯で、どこからが大地なのか—


はじめて珠洲を訪れた永遠さんは、その環境に圧倒されたと言います。

珠洲焼は、近世以降主流となった「登り窯」とは異なり、古墳時代に大陸から伝わった「窖窯(あながま)」で焼かれます。かつては、多くが山の斜面を掘って作られたというシンプルな構造。二度にわたる震災(※)で、完全に崩れてはいたものの、自然と深くかかわり合う陶芸家の営みが、十分に伝わってきました。

大地の窯で、鉄分を多く含む珠洲の土を、三日三晩絶えない炎で焼き締めてできる珠洲焼。永遠さんいわく「原始的な芸術性」、素朴な焼き物がまとう底しれない凄みの源泉をみたのです。

※2023年5月の最大震度6強の能登地方の地震と、2024年1月の最大震度7の能登半島地震


珠洲焼は、平安末期から能登半島でつくられてきた焼き物です。京の貴族に保護され、後に「中世を代表する陶器」と評価されるほど広く流通しました。しかし、時代は鎌倉から室町と、徐々に武士の世へ移り、戦国時代がはじまる15世紀末になると、ついに途絶えてしまいます。

現代の珠洲焼は、500年の時を経て、戦後に地元の有志が復興させたものです。


そして、2023〜24年の震災で、二度目の存続の危機に直面しています。珠洲焼を支えてきた22基の窯は全壊。作家たちが全員無事だったのは幸運でしたが、一切の創作が不可能な状態になりました。


「先人が大変な思いで復興させた珠洲焼を、再び断絶させてはいけない」


長年、珠洲焼をコレクションするファンであった典子さん、永遠さんは、地元の団体に支援を申し出て、能登へ向かいます。そして、作家たちと交流する中、自分たちが取り組んできたこと、日本の美術界が抱える課題との、不思議な一致をみたのです。



もうひとつの復興


「自分のことをそっちのけで、働くパワーに感銘を受けました」(典子さん)


2024年5月、震災からの復興のため、金沢で珠洲焼の特別展が開催されました。

このとき被災地に入った典子さんは、作家により課題が異なることを知ります。かろうじて作品が残った人、手元に作品がない人、作品はあるが梱包や搬送に手が回らない人。それぞれが被災者でありながら、仲間たちの個別の事情に寄り添い、自分のできることをしながら展示会を運営していました。


非常時の助け合い、と一般化することもできるでしょう。しかし、典子さんは珠洲を訪れ、作家たちと話すうちに、珠洲焼作家たちの独特なカルチャーを知りました。


「珠洲では、若手の作家がさまざまな窯元の窯を借り、窯だきを手伝いながら自分の作品も焼かせてもらう、という仕組みがありました。しかし、陶芸家にとって窯は秘伝中の秘伝。お弟子さんでない若手を気さくに呼んでくれることは珍しいと思います」(典子さん)


ひとりの窯元に教えを請い、はじめは下働きをして仕事を覚え、やがて独立して自分の窯を建てるのが、一般的な陶芸家のキャリア。しかし、珠洲では若手のうちから多様な窯を試し、さまざまな先輩から教えを受け、成長できる土台があったのです。


「私は若いうちから、珠洲焼の自由な作風に惹かれてコレクションしていました。それには理由があったのだ! と出会いから何十年も経って謎が解けた気持ちです。窯だけでなく継承のシステムも含めて、復興しなければならないと感じました」(典子さん)



アーティストの生きる道


そして、典子さんが体感した珠洲焼のあり方は、娘の永遠さんの生き方に重なります。海外の美術大学を卒業し、現在は日本で活躍する永遠さんは、その痛切な問題意識からアーティストネットワークWHYNOT. TOKYOを立ち上げました。


「ヨーロッパでは、アーティストの労働組合があり、一定程度創作環境や福利があることが多いです。それに比べ日本では、労働者としてのアーティストの立場はとても脆弱です」(永遠さん)


国内の美術大学を卒業し、画廊に所属するなど、美術界のなかでステップアップできればまだよいほう。結婚や子育て、介護などのライフイベントもあり、創作を長く継続していくことが難しい。実力があっても創作活動を諦める人が少なくないと言います。


そこで、永遠さんは、仕事やお金、健康維持など、アーティストが「生活する」ことに軸を置いたWHYNOT. TOKYOをつくりました。他のコミュニティと異なるのは、美術のジャンルや系統、思想など、表現にフォーカスしないこと。実はアーティストが口に出しづらい生活に関する相談や情報交換が、率直に行える場です。


ただ、どのアーティストにも共通する問題だけに、あらゆるジャンル、方向性を持った作家が集まります。結果的に、異なる個性が出会い刺激し合うなど、表現の面でも発展性のあるコミュニティができました。


「自由で多様な創作活動が持続する」


偶然か、運命なのか、永遠さんと珠洲焼の作家たちは、本質的に同じシステムをつくろうとしていたのです。


「特にコロナ禍でアーティストたちの活動が危機に直面した際、永遠は自らギャラリーを運営し、展示会を催すなど仲間のために奔走していました。その時の永遠と、復興へ必死に取り組む珠洲の作家さんたちの姿が私の中で重なり、『自分にできることがしたい』と強く思ったのです」(典子さん)



まとめ


まずは、金銭的な支援で中核的な窯元が、一日も早く創作を再開できるようにすること。その窯で、他の作家も作陶活動ができる仕組みを再構築すること。ふたつの復興をサポートするのが、「珠洲焼応援プロジェクト」です。

本来密接につながるハードとソフト、その双方を設計することで、未来の可能性が大きく広がる。私たちの日々のビジネスにも、貴重な示唆のあるエピソードでした。


同プロジェクトでは、応援展示やトークイベントを通して珠洲焼の魅力を伝える活動、窯の再建のための寄付の受付などを企画しています。2月13日には OIL by 美術手帖でのオンライン販売も開始します。珠洲焼や応援に興味がある方は、ぜひ以下からチェックしてみてください。


珠洲焼応援プロジェクト


珠洲ポストカード(売り上げはプロジェクト運営に寄付されます)


OIL by 美術手帖(2/13〜)


 

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