見込み違い、そして転機
2020年6月。 東京。
およそ3カ月続いた 1回目の緊急事態宣言が解除された。
マーケターの古家、エンジニアの山辺、 二人が期待と自信を込めてはじめた ハイスペックキッチンカーの製造販売事業。
時流には合っていたし、 案の定メディアにも紹介されて 認知は高まった。
徐々に問い合わせも増え、 事業のすべり出しは順調に見えた。
しかし…
キッチンカーは期待したようには売れていなかった。
そのころ街に激増していたキッチンカーは、 ほとんどが安価でコンパクトな、 軽自動車をベースとした車両。
コロナ禍の新規事業として キッチンカーをはじめる飲食店らは、 初期投資をできるだけ抑えたい。
スチームコンベクションオーブン(スチコン)付きの 高機能なキッチンカーは確かに魅力的だったが、 購買に至る顧客はいなかったのだ。
古家がそのことに気付いたころには、 軽キッチンカーを扱う メーカーの参入が相次いでいた。
「他にはない製品をつくろう」
試行錯誤の時期は続いた……。
しかし、転機は思いがけず訪れる。
予定より一年遅れで開催された 東京オリンピックだ。
オリンピックに参加した唯一のキッチンカー
2021年6月。
4度目の緊急事態宣言下の東京。
異例の東京オリンピック・パラリンピックは 感染対策を徹底するため、 選手、関係者を外部と遮断する 「バブル方式」が採用された。
飲食店にもコンビニにも、 自由には出入りできない環境に、 外国から来た多くの人が閉じ込められた。
「本来なら日本のおいしい食事を もっと楽しんでもらえるはずだったのに…」
仕方ないこととは言え、 古家はもどかしい気持ちで、 状況を見守っていた。
そんなとき、代理店を経由して大会組織委員会から声がかかる。
「選手村の外で長期滞在する選手や関係者に、 温かい料理を食べてもらいたいのです。
御社のキッチンカーをうまく活用できないでしょうか?」
聞けば、一般客との接触を避けるなどの理由で、 ホテルでも食事の提供に苦心しているというのだ。
これだ!
スチコン付きのキッチンカーなら 1台でたくさんの料理を、 できたてで提供できる。
まずはグランドキーパーが滞在する埼玉のゴルフ会場、 続いてセーリング選手たちが一般客に混ざり宿泊する神奈川のホテルへ。
古家は料理人とともに、 自らキッチンカーに乗り込んだ。
現地で食事を提供しているうちに、 世界中からやってくる選手の好みも わかってきた。
アジアの選手に人気のメニューが ヨーロッパの選手にはまったくウケない、 といった具合だ。
反応を受けて柔軟にアレンジしながら スピーディーに、かつ大量に多彩な料理を用意できるのは、 ハイスペックキッチンカーの真骨頂。
思惑通り、選手たちに喜んでもらうことができ、 厳しかった会社の売上は底上げされた。
経営は一時の危機をようやく脱し、回復に向かっていった。
2024年5月。
白金のオフィス。
「コロナ禍でお金はなくなりましたが、 人という財産が増えました」
ジェットコースターのような4年間を、 古家はそう振り返る。
「財産」とは言うまでもなく山辺のことだ。
何度会っても議論は本当におもしろく、 打ち合わせでは2〜3時間が あっという間に過ぎてしまう。
原価も売値も、お互いすべてオープン。
これほど信頼し合えるビジネスパートナーは そうそう得られるものではない。
彼と出会っていなければ、 古家は既存の枠組みのなかで、 ビジネスを続けていただろう。
それが悪いわけではないが、 山辺は仕事の楽しさ、挑戦することの歓びを 改めて教えてくれた。
だからこそ、2人のキッチンカーを なんとしても成功させるべく、古家は一層の熱を注ぐ。
今年3月には、スチームコンベクションオーブン搭載のキッチンカーとして特許も取得。今は災害時の大量調理に対応するキッチンカーとして、 開発とプロモーションの計画を練っている。
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