シベリアの狩猟民に学ぶ本当の共感力
- 小越 建典

- 15 分前
- 読了時間: 5分

共感とは何か──今なぜ共感が重要なのか
顧客理解、マーケティング、カスタマーサクセス──ビジネスのあらゆる局面で、「共感」の大切さが強調されます。
価値観が多様化する現代では、顧客一人ひとりのニーズを捉える必要があります。アンケートやデータ分析だけでは見えてこない、本当の課題や願望を理解しなければなりません。まして、これからはAIの時代です。データ処理や論理的思考をAIが担うようになれば、感情の力こそが人間の競争力になるでしょう。
しかし、「共感」というこの言葉、私たちはしっかり理解して、使えているでしょうか?
共感とは……認知と感情、そしてその先へ
よく言われるのが、「共感」には2種類がある、という話です。
一つは「認知的共感」です。相手の立場に立って、その人が何を考えているかを理解する能力ですね。ペルソナを設定し、カスタマージャーニーを描いたりする手法は、まさにこの「認知的共感」を目的としているのでしょう。
もう一つは「感情的共感」です。他者が感じているのと同じ感情を、自分も感じ取ることです。顧客が日常の中で抱くペインや、サービスを利用した時の感動を一緒に感じたり。認知と比べて感情のほうが、共感としてはより強く、深いものと言えそうです。
しかし、ここで立ち止まって考えてみたいのです。相手の気持ちを理解し、寄り添う──それで「共感」は十分なのでしょうか。実は、私たちが「共感」と呼んでいるものは、まだ表層的な段階に過ぎないのかもしれません。
狩猟民に学ぶ圧倒的な共感力
シベリアの狩猟民ユカギールは、私たちに全く異なる「共感」のあり方を教えてくれます。
ユカギールはシベリアの極寒の地で、エルク(ヘラジカ)を狩って生きる民族です。人類学者レーン・ウィラースレフが彼らの暮らしを調査し、私たちとは全く違う世界観を明らかにしました。
狩猟の前夜──エルクの精霊と交わる
ユカギールは狩猟の前日、ウォッカやタバコなど舶来の交易品を火に捧げ儀式を行います。すると、エルクの精霊は「みだらな気分」になるそうです。そして夢の中で性的欲望に囚われたエルクと出会い、交わります。こうした夜の逢瀬は、翌日狩猟が行われる現実世界にも引き継がれると言います。
ハンターはすでにこの段階で、エルクとの深い交流を始めています。夢の中でエルクと一体となり、その欲望を共有し、翌日の狩猟への道筋をつけているのです。
狩猟当日──エルクになりきり、誘惑され、撃つ
狩猟の当日、ハンターはエルクの毛皮や耳を身に着け、誘惑するようにエルクになりきって動きます。ユカギールいわく、そうすることで性的興奮の絶頂を期待したエルクが、自然と近づいてくるのだそうです。エルクが姿を現し、「自分の家に行こう」とハンターを誘うその刹那、ハンターは人間に戻り、ライフルでエルクを撃つのです。
ここで重要なのは、ハンターがエルクを外側から「観察する」のではなく、エルクそのものになりきっているという点です。エルクの視点で世界を見て、エルクとして振る舞い、誘惑します。
パースペクティヴの移動──往還する共感
ウィラースレフはこの様子を「彼はエルクではなかったが、エルクではないというわけでもなかった」と記しています。この矛盾した表現こそが、「共感」の本質を突く言葉でしょう。
ハンターは人間でありながら、同時にエルクでもある。ハンターは自分の視点(パースペクティヴ)をエルクに完全に移動させ、エルクとして世界を経験します。身体は隔絶していても、内面は行き来しているのです。
ユカギールの狩猟は、単なる認知的・感情的共感を超えた「身体的共感」とも呼べるものです。他者の世界に深く入り込み、そこから自分へ還ってくる、往還(往ったり来たり)を行っています。旺盛な想像力に基づく自在な往還こそ、共感の本質なのではないでしょうか。
返ってくることで共感は成立する
しかし、ここで見逃してはならない重要な点があります。ユカギールのハンターは、必ず人間に戻って、狩りを行うということです。
「自分の家に行こう」というエルクの誘いに乗ってしまえば、ハンターは二度と人間の世界には帰れないと言います。他者に完全になりきることは、自己を失うリスクを伴うという示唆でしょう。「共感」とはかくも凄まじいものなのです。
だからこそ、ユカギールは必ず帰ってきます。エルクの世界に深く入り込みながらも、最終的には人間の世界に戻る。この往還があって初めて、共感は成立するのです。帰ってこないと、それは共感ではなく、ただの同一化、自己の喪失になってしまいます。
ビジネスにおいても同じことが言えるのではないでしょうか。真の「共感」とは、顧客の立場を「理解する」だけでなく、顧客の視点に完全に移動し、顧客として世界を経験することです。顧客の課題をデータで分析するのではなく、顧客そのものになって、その痛みや喜びを身体で感じ取る。そして、そこから必ず自分に戻り、マーケターやビジネスパーソンとしての冷静な視点で、施策を考える。この往復の旅を軽やかに行うことが、本当の共感力なのかもしれません。
人類学の知をビジネスに
ちなみに、ここで紹介したユカギールの狩猟は、筆者がお手伝いをした最新の書籍に収録されています。人類学の奥深い世界を、わかりやすい事例と図解で記した入門書です。覗いていただけたらうれしいです!
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